去年までは八十年代を考える機会が多かったのですが、今年はなぜか七十年代を考察する機会が増えています。それも時代の要請なのかもしれません。
「イージー☆ライダー」は七十年代アメリカの「アメリカン・ニューシネマ」の一本で、その特徴は「Unhappy Ending」にあると思われます。
勿論、後から人が名づけた呼称に過ぎませんが、アメリカン・ニューシネマと呼ばれる作品のほぼ全てが、主人公が死んで終わる作品です。そうでない作品もあるけれど、多くは主人公の死で終わります。仮に死ぬことはなくても、どこか解決不能の問題を残したまま物語は終わる。すなわち、映画が娯楽から文学的な芸術に位置に少しばかり階梯を昇った感じがしたのです。
わかりやすいから「意味の思考」を求める作品へと昇華した瞬間だったかもしれません。
八十年代。日本。
角川映画全盛の頃、「野性の証明」という映画がありました。勿論、娯楽大作ですから、大ヒットを記録した映画ですが、当時キネマ旬報に載ったシナリオとできあがった映画を見比べ、読み比べて、映画のできに感心したのを覚えています。
監督は佐藤純弥さん。「新幹線大爆破」という傑作サスペンスを撮った方ですが、娯楽作品をしっかり撮られる監督さんでした。
この作品は一人の寡黙な自衛隊員が、無実の罪で国家に抹殺される様子を描く悲劇的な物語です。まるで後の韓国映画「シルミド」を彷彿とさせるような、国家による個人の抹殺計画。勿論、アクション満載で描き、今となっては笑ってしまう箇所もありますが、それでも、ラストシーンは素晴らしかった!
自分が誤って殺してしまった村人の子を、自分の子として育てていた主人公が、殺されてしまったその子を背負い、戦車隊に向かっていくラストは、まさにアメリカン・ニューシネマの持っていた魂でした。血の気を失った高倉健さん演じる味澤が力なく背中にぶら下がる娘を身体に縛り付け、塹壕から出ていく姿は、鬼気迫るものがありました。
角川映画という売らんかな主義で作られた作品であっても、ラストは納得できるものでした。
実は、この映画のラストシーンはシナリオには書かれていません。恐らく編集の段階で創り上げていったものと思われます。シナリオでは主人公・味澤は死んだのかどうかわからない形になっていました。ですが、上映作品では味澤が突っ込んでいくところでストップモーションになる。
すなわち、死の暗示で終わるのです。
大野雄二さんの音楽がオーバーラップして、悲劇は神話になる。
こういうラスト、いいよなぁ・・・・。
「野性の証明」予告編
ラスト:Ending Theme 悪夢は頼子とともに
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