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2009年11月14日土曜日

今も昔も

Soldier Blue 1970

「世界」を考えることない「個」は自閉している。
今、リアリズムの名において「個に自閉した演劇」が蔓延し始めているように思えます。

自閉した個にとって、自己の周辺の出来事しかリアルに感じられないので、自ずと社会性もしくは世界性といった感覚が麻痺してくる。つまり、自分以外には関心を抱かない無関心(アパシー)の状態に陥るのだと思う。

最近、またもや古いアメリカン・ニューシネマの一本を思い出したんだな。
「ソルジャーブルー」という1970年の米国映画です。

内容は、1864年11月29日、コロラドのサンドクリークで起こった騎兵隊によるシャイアン族の大量虐殺を描いたものです。この事件はアメリカ史では「サンドクリークの虐殺」と呼ばれているものです。
チビングトン大佐という指導者が八百人の騎兵隊を率いて、アメリカ・インディアン(Native Amerian)のシャイアン族の老人や女子供、あわせて二百人ほどをなぶり殺しにしたのです。
大佐はこの出来事で英雄になりました。
しかし、やがて行った内容が虐殺であったことが判明し、彼は失脚します。世論が彼を許さなかった。

映画は、出来事をインディアン側から忠実に再現し描いていると言われています。公開当時、映画館で観てショックを感じたのを覚えています。それほどリアルで生々し映像でした。なのに、日本ではほんのちょっと公開されただけで、テレビは勿論、その後映画館ですら観られることはなかったと思います。日本では知っている人も少ないかもしれません。ある意味幻の名作です。
ベトナム戦争当時の気骨のある映画制作者による、正しい「反米映画」です。今やハリウッドがほとんど描くことがなくなってしまったアメリカの負の歴史、即ち歴史のダークサイドをしっかり描ききっているんですね。

今や日本も米国の片棒を担ぐ時代。
昨日の報道によれば、ニューヨークタイムズに「日本は米国を見捨て裏切っている!」という記事が載ったそうです。今は日米関係が最悪の時だそうです。一方、ワシントンポストの記事によれば、「日本は盲目的に米国の指図に従うことはない」ということになります。
いずれにしても、米国の傘の下で長いこと時間を過ごしてしまった日本は、ソルジャーブルーの騎兵隊側にいることは、まず間違いと思われます。

今も昔も、変わらない「狂った価値観」による虐殺は後を絶ちません。
この映画の一場面を観て、遠い西部劇の面白可笑しい一場面だなどと思えるとしたら、それはどこか自己に閉塞し病んでしまっているのかもしれません。
これと同じ事が今世界中で行われているし、目の前でも形を変えて行われていることに気づきたい。
時代はここに来て、以前よりも増して残虐さを深めているような気さえします。
世界を覆う金融や、そこにまつわる貨幣的価値観(拝金主義)の嵐もまた、虐殺を彷彿とさせる一種の「暴力」に他なりません。

目の前の状況は、時や場所を超えてやってきた状況と、実は一致していると見た方が、より健全な感じがします。
僕らは世界に対し無関心ではいられない時代を生きているんだと思うんですが。
個に閉じこもるリアリティーより、勇気を持って世界と対峙し、世界に自己を見出すリアリティーを求めたいと思います。

SOLDIER BLUE-1970-THE MASSACRE

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