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2009年10月25日日曜日

アレンジ

同じ音楽がアレンジを変えることで全く別ものになることがあります。

骨格が確かに変わることがないのに、アレンジは存在の仕方を変えてしまう力があります。

生き方にしても、根本的には生まれて三歳ぐらいからほとんど変化していないのが現状でしょう。変化するのは外側の社会的外面性であって、内包する人間性はほとんど変化していない。
だとすれば、自分自身を如何にアレンジするかで、人生の在り方も変わってくるのでは?と思う今日この頃であります。

最近、裁判の行われた薬物で逮捕された俳優(実際俳優とは呼びたくもありませんが)が、その反社会的な風貌から、デビュー当時プロダクションで第二の「松田優作」をめざそうということになった、という話を耳にしました。ふざけたことを言うなよ。初期の訓練もまともにやらず、売れることばかり気にしていたその俳優は、結局真の「地味」な努力をすることもなく、身を持ち崩していった。どんな生き方でもその人間の自由なのですが、自分自身の人生を如何にアレンジするかで、その後の在り方が変わる例ではないでしょうか。まがりなりにも松田優作は、自ら脚本を書こうとしていたし、たえず自分を変えようと必死だった。ギラギラした不良などという外見の虚像とは全く違ったストイックな、学び成長しようとする姿勢があった。例えば、松田優作と先になくなった俳優・金子正次との関係に、そんな部分が垣間見えるんだな。それは時代の違いなのかもしれないけれど、一見似ているようで、この裁判沙汰を起こした俳優と松田優作という俳優の在り方は全く異なっているのです。松田優作自身もいろいろな事件を起こしたにもかかわらず、です。

だから、アレンジ。
とても重要なことだと思います。人に従うというよりも、自分の可能性を切り開くために、アレンジを重ねて生きたいと思うんです。
どこで途切れるかわからぬこの人生で、変化し、前へ進もうとする以外に路はあるのだろうか?

1988年の泉谷しげるさんの「春夏秋冬」はそれ以前のアレンジとは全く違って衝撃的でした。
いくつもアレンジのバージョンがある中で、このアレンジは特に好きです。
ギターの音が風のように舞っています。
金や権力とは全く異質の、人生の意味を、風のように感じたい。

泉谷しげる&LOSER - 春夏秋冬

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