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2009年8月31日月曜日

狂気と理性

寺山 修司 (てらやま しゅうじ、1935年12月10日 - 1983年5月4日)は、日本の詩人歌人俳人エッセイスト小説家評論家映画監督俳優作詞家写真家劇作家演出家など。演劇実験室・天井桟敷主宰。

寺山の亡くなった年齢をとうに超え、彼とは違った形で演劇を行うことを模索してきた。
何故違った形で、なのかと言えば、彼の信奉したアントナン・アルトーを僕は否定するからである。
アルトーの「演劇とその分身」に見る残酷演劇の在り方は、形而上学的であり観念的過ぎ、イメージに過ぎない。というのも、シュールレアリズムとはまさにリアリズムの純粋な追求であり、それゆえ、枠組みを逸脱しなくてはならない強迫観念を生み出していく。演劇という枠組みがシュールレアリストにとっては、まず最初の敵なのだ。
演劇とはこういうもんだ、というような短絡には陥るつもりはないが、それぞれの時代にそれぞれのリアルがあり、そのリアルをどう受けとめ理解するのか、そして、それでもなお変わらぬ普遍的なテーマがあるはずで、そのテーマは方法論が変化しても枯れ果てることはないと思うのだ。

寺山がアルトーを通じ、更に天井桟敷という装置を使って見つめようとしたのは、他ならぬ個人的な存在の意味、つまり実存の確認の問題であったと思う。
ペストが流行し、亡くなっていった多くの人々が、実はペストにかかっていなかったという事実が、人間の抱くリアリティーは妄想が生み出す側面があるのかもしれない、という寺山とアルトーの共通した出発点になり得ている。
演劇とは一種の妄想であり、もうひとつのリアリティーの現出装置である。

そうした中で、寺山が更にミッシェル・フーコーの「狂気の歴史」に関心を寄せていることもまたとても興味深いことだ。
まさにそのフーコーの「狂気の歴史」こそ時代によって狂気の定義が変わるという「狂気の恣意性」を発掘した書物だったからである。「監獄の歴史」も同様だが、このフーコーにならえば、「理性」こそが各時代の「狂気」を生み出してきたことになる。寺山に言わせれば、核爆弾を生み出したのは人間の狂気ではなく「理性」であるということになる。
まったく同感である。
しかし、それでも二人に共通したシュールレアリズム的アプローチは僕の方法ではない。なぜなら、他のリアリズムを禁止する強い力が働くからである。それは、芸術と芸能の差異として彼らが表現するものであり、彼らにとっては芸術は芸能より上位にあるという前提があるからである。この一点が大きな間違いなのだと僕は思っている。演劇は芸術であり同時に芸能である。天井桟敷はスタイルは河原乞食の大道芸能のスタイルを取ってはいるが、「芸術」を標榜していたのである。
僕は、もちろん殊更「芸能」でなければいけないとは思ってはいないが、むしろ「芸術」も「芸能」も同じ重さだと認識しているのである。
問題意識は共有しても、方法論はかくのごとく違っている。

だからこそ、僕は演劇的なアプローチを寺山に寄らずに実践していきたいと思う。

ただし忘れずにいよう。狂気とは理性によって生み出される。
感情ではないところが、重要だと思う。

寺山修司(1) 1982 at Plan B


寺山修司(2) 1982 at Plan B


寺山修司(3) 1982 at Plan B


寺山修司(4) 1982 at Plan B

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