吉祥寺:Funky-JazzBar
実はちょっと体調崩してました。
今日はだいぶいい感じになってきてPCに向かっています。
先日、「アイデン&ティティ」について書きました。
あの映画は高円寺が舞台でしたが、僕自身、中央線沿線の暮らしが長く、西荻窪、東小金井、中野、高円寺、という具合に見事中央線の青春を過ごしました。
吉祥寺(僕らはみんなジョージと呼んでましたが、国分寺をブンジと呼ぶように)に住みたいと思っていたのに、未だに住んではいないんです、なぜか。
うちの嫁の両親が長いこと吉祥寺でしたから、結婚当初はしょっちゅう飯を食わしてもらいに吉祥寺、でしたが。。。
しかし、何かっちゃあ吉祥寺なんだよな。
東京で暮らしはじめて三十年以上経ちますが、吉祥寺には西荻窪と並ぶ「因縁」がありそうです。
なんだろ?
現在パルコのある辺りに、Funkyというお洒落なJazzBarがありますが、Funkyがもともとは3階建てで、吹き抜けのジャズ喫茶だったことはほとんど忘れられています。螺旋階段を昇って三階にいくと、真ん中の穴から下の階のスピーカーの音が立ち昇ってくる。まるで噴水のようでした。今は、店の中で三階は閉じられ立ち入り禁止になっているようですが、二階で上を見上げれば、その片鱗がわかるでしょう。
岩手にいた頃、以前書いた「ジャズ喫茶ベーシー」で育った僕は、吉祥寺の「Funky」と今はなきロック喫茶「赤毛とソバカス」が心の拠り所だったんです。
まだ芝居に出逢う前の話です。
『あの日のこと』超短編小説
by ボルケーノ
一九七九年、冬。店の扉を開けるとアート・ペッパーの「You'd Be So Nice to Come Home To」がかかっていた。気持ちのいいぐらいひねりの効いたサックスの音色。McIntosh 275の真空管アンプと二階に転がされた二台の巨大なJBLパラゴン・スピーカーから、空気を振るわせる振動を店全体に漲らせていた。
店の中はコーヒーと煙草の芳香が充満している。腕を組んでリズムに合わせ、身体をゆする客。無心に文庫本を読みふける客。目を閉じ陶酔して音楽に入り込む客。話をする客はほとんどいない。音楽と香だけがそこにあった。今も決して忘れることのできないあの頃のジャズ喫茶がそこにあった。
僕らは入り口正面の階段を上がり、まず二階へ。それから二階の奥にある螺旋階段を昇り、屋根裏部屋のような三階へ上がった。ファンキーの三階は真ん中が吹き抜けになっていて、真ん中の丸い穴の周囲を木製の手摺りが取り囲み、その空洞の中央にスズランの形をしたランプが三つぶら下がっていた。周りの壁は全面、列の空間が大きめの棚になっていて、ジャズのレコードが天井までびっしりと並べられ、まるで図書館の資料室にでもいる感覚になる。
でも、その閉塞感と部屋の真ん中に空いた空洞が妙にマッチしていて、この屋根裏部屋で何時間過ごしても飽きることがないのだ。あの頃の僕らは、ファンキーの三階をまるで自分の部屋の延長のように感じていた。そして、そう感じさせる何かがそこにはあった。本を読み、原稿を書く。メモを取る。思考する。瞑想する。コーヒーをすする。貧しくても、音楽がいつもそばにある。そんな感覚。
空洞を取り囲むように置かれた席のひとつに僕たちは座る。
そして、「いつものおねがいします!」とマスターにひと声かける。しばらくすると、いつものようにコーヒーが出てくる。マスターはわかってるくせに、僕ら二人の顔を確かめるように交互に見ると、静かにそれぞれのコーヒーをテーブルに置いて、下に降りていく。僕はブラックで。彼女はクリームだけ。スプーンでかき混ぜながら、クリームを注ぐ。コーヒーの表面に白い螺旋形の渦がゆっくりと回転していく。これが彼女のやり方だった。
回転する渦を見つめながら彼女が口を開いた。
「お母さんが、入院したの」
何のことか僕にはわからない。
「お母さんが入院?」
「うん。検査入院なんだけどね。胸に痼りがあるんだって。札幌中央病院」
「札幌帰んのか?」
「ううん。帰らない。だってもうすぐ試験だし、卒論もあるしね。ただそれだけ。一応言っとこうと思って」
僕がうなずくと、沙保里はリクエスト用紙に「ビル・エバンズ・Waltz for Debby」と鉛筆で書き、店の人に手渡す。曲がかかると沙保里は手を伸ばし僕の手を取る。
「踊ろ」
僕らは立ち上がり、静かに曲にあわせ踊りだす。迷惑そうな客はお構いなしに。僕の背中で彼女の手に力が入るのを感じる。静かなピアノのワルツに乗せて踊った。二人でくるりと回った瞬間、沙保里の腰が隣の席の客の腕にあたり、その拍子にコーヒーカップが床に落ちる。砕け散るカップ。僕はその様子をスローモーションのフィルムのように見ていた。
「ごめんなさい!」沙保里が叫んで破片を拾おうとかがむ。
「ばかやろう!」
その客はいきなり立ち上がると僕の顎を殴った。そのまま僕は床に倒れ、頬をカップの破片で切ってしまう。咄嗟に手のひらをあてると滲む血液で頬がべとべとしていた。
「いちゃいちゃしやがって!」男はそう言い捨てると小銭をテーブルに叩きつけて階段を駆け下り、出て行ってしまった。
沙保里は「ごめんね」と何度も繰り返しながら、ハンカチで血を拭き、マスターにもらった絆創膏を僕の頬にはった。僕の右頬には、今でもかすかにこのときの傷が残っている。
僕らは店を出ると、夜の吉祥寺をぶらつきながら、南口の丸井の脇の道を井の頭公園へ降りていった。階段を下りて左に曲がると、葉を落とした木立の向こうに野外ステージが見える。・・・
斉藤哲夫 吉祥寺 1973
2007.12.23 ヒポポタマス 中川イサト ライブ「吉祥寺 1972」
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