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2009年6月24日水曜日

ねがい


映画『ストーカー』:アンドレイ・タルコフスキー(1979)

今ではストーカーと言えば、「つきまとう人」という意味になってしまいますが、かつてタルコフスキーの映画が噂になっていた頃は、ストーカーとはゾーンの案内人のことでした。

映画『ストーカー』はソビエト時代の映画の傑作です。
難解すぎると言われることもあります。でも、画面と言葉に身を委ねると、物語に取り込まれ不思議なトリップ感覚を体験できるのも、この監督の作品のひとつの特徴です。
ソビエト時代の厳しい検閲を乗り越えて、完成した作品は、観念的なメッセージが逆にポエジーを生みだし、読み解こうとする人間に、深い物語体験を提供してくれるものでした。

ゾーンという隕石が落下して生まれた立ち入り禁止地域の案内人のストーカーは、「願いの叶う部屋」に人を案内するのが生業。
だが、そこに到達するまでには様々な危険が伴う。
ストーカーはやっとたどり着いた「部屋」で願いが叶うなんて嘘だと気がつくのだ。
そんな場所はどこにもない。そんなの人々の幻想に過ぎない。
絶望し、悪態をつきながら、やっとの思いで、家に帰り着いたストーカー。
彼は気がついていないのだ。
彼の大事な足の悪い娘が、「力」を授かったことを。
彼の願いは叶ったことを。

映画の一番ラストの場面は、あまりにも美しい歩くことのできない少女の「力」の発現を伝えています。




「ねがい」なんてものは、こんな風に本人の与り知らぬところで案外実現しているのかもしれません。
この映画、観念的すぎるかもしれませんが、その実、とても明確なテーマを持っているようです。人間の希望と絶望と願いの成就。
その意味では、タルコフスキーは作家としての説明責任は果たしているのです。

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