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2009年4月14日火曜日

カントリーロード

ジブリのアニメを健全すぎると嫌う人がいる。
特にサブカルチャー好きに多いのは気のせいか?

でも、ジブリのアニメが他と大きく異なっている点は、健全であるとかないとかではなく、もっと別の所にある。それは、他のアニメには観られないリアリズムの視点で、日本人の生活と日常をドラマを描こうとする点だ。
本来それらは実写のドラマが担っていた部分だが、アニメの持つ光と影の特性を生かし、実写では当たり前の風景を新鮮な角度で描き出している。更にアニメ故にリアルと荒唐無稽を行き来できる。ジブリの作品の持つ価値と強みはまさにこの点にあるのではないかと、僕は思っている。

その点からすると「耳をすませば」は、傑作であると思う。

誰一人として悪役は登場しないし、中学生の少女が小説を書き上げるまでを静かに描いた作品に過ぎない。なのに、いや、だからこそ、胸に迫るものがこの作品にはある。
それは、あの夏の日の道路に映る影であり、塀の上に眠る猫であり、ドキッとするような小さな恋であり、かつての都営住宅の狭い室内と重い扉、二段ベッドと本、夏の校庭のはしっこであり、蝉の声と坂道、二人乗りの自転車、図書館の静けさであり、遠い新宿副都心を照らす朝焼けの空である。
この全てのディテールこそが、ドラマ性を何処までも高めていくのである。
だって、この映画を観る誰もが、必ず何か思い当たる部分を発見するはずだから。ここにあるリアルこそ、僕らが取り戻すべき生活の魅力であり、失われた価値なのだと思う。

細部に宿るリアリティーこそ、僕らの生活を再認識させてくれるんだな。

それから、ジブリの作品の音楽の魅力について。
YouTubeなどでは、何故日本を舞台にしたアニメに「カントリーロード」なんだ?という批判が書き込まれていたりするが、それは間違いである。アメリカの歌がアメリカだけに対応するというその感覚の狭さは致命的だな。むしろ重要なのは、一見無関係に見えるものの中に、共通項を見出す視点である。アメリカを歌ったジョン・デンバーのこの曲は、今京王線沿線に相応しいことを僕らは知るのである。そしてその感覚こそが、つまらぬ文化的領土意識を越え、普遍へ向かうのだと思う。

ジブリは日本のドラマの可能性を広げてきたのだと僕は思うな。

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