The Dying Sun
by Bruce Lee
The dying sun lies sadly in the far horizon.
The autumn wind blows mercilessly; The yellow leaves fall.
From the mountain peak, Two streams parted unwillingly,
One to the West, one to the East.
The sun will rise again in the morning.
The leaves will be green again in spring.
But must we be like the mountain stream,
Never to meet again?
カンフースターであったブルース・リーは僕ら昭和の子供たちにとって忘れることのできないヒーローだった。
蹴りで学校の廊下の羽目板を割っては、しょっちゅう先生に叩かれていたような気がする。ヌンチャク振り回して、頭にタンコブ作っていたのもあの頃だ。
でも、ブルース・リーが詩人だったことはあまり知られていない。
アクションスターとして伝説になった人物だが、その心の底には、哲学し、詩を書き留めるもう一人の人格があった。その詩的な営みの中で「截拳道(ジークンドー)」と呼ばれる彼独自のカンフーが完成していったのだと思う。
上の彼の詩は、男女を詠ったものなのか、友情を詠ったものなのかは分からない。
ただ、この詩の中に、時の流れと、言い知れぬ孤独があり、ただの手慰みやメモ程度を越えた「詩」を、僕は感じる。「考えるより、感じろ」と言ったのはまさしく彼だが。
山から下り落ちる川の二筋の流れは、人と人の出会いと別れ、あるいは、存在の孤立、そんなものを言っているような気がする。相容れない、僕らのそれぞれの存在とその行く末。
この小さな詩の中に、彼のこの世との関わり方が、少しだけ垣間見える。
見栄や虚栄心も人一倍あっただろう。でも、それを越えるような深い生の感覚の中から、あの鋭いアクションが生まれてきたのだろう。彼のアクションは様式美そのもの、つまり、京劇や歌舞伎に繋がる永い東洋の伝統の中から生まれてきたものだ。
あらためて「燃えよドラゴン」のワンシーンを眺めて、その様式美を感じます。
僕の演劇的土壌であるMethod Actingには、様式を嫌う傾向がありますが、様式を否定しすぎると飛躍もなくなるんだな。様式は必要です。
アクション映画と馬鹿にするむきも世の中にはありますが、ブルース・リーの様式美が不滅の輝きを放っているというのは、真実だと思うな。
彼のこの詩と、戦う姿を見比べて欲しい。比較することで、そこに何か共通したブルース・リーという人物の残した別の印象を発見するかもしれない。
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