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2009年3月12日木曜日

娯楽映画の深層



娯楽映画だと思わせながら、そこに鋭く現代を描写する作品がある。
それを人は傑作と呼ぶのかもしれない。

たとえば、1975年の映画に『コンドル』(Three Days Of Condor)という作品がある。
原作はジェイムズ・ グレイディの『コンドルの六日間』。映画では原作の六日間を三日間に縮めている。
CIAの末端機関で暗号の解読に明け暮れるターナーという男の奇怪な三日間を描いた物語。
昼食を買いに行っている間に、仕事場の仲間が皆殺しにあい、主人公のターナーだけが生き延びることができる。何者かに追われながら、彼は自分を抹殺しようとしている人間達を特定しようと必死に頑張る。やがて、相手が自分の雇い主であり仲間であるはずのCIAであることがわかってくる。
石油産出国での戦争状況を造り出すCIAの一部でなされた計画を、ターナーが知らずに質問状を出すことで潰しかけていたというのが真相だ。どこにも逃げることのできない彼は、CIAの上司に新聞社へ記事を送ったことを告げ、雑踏へ消えていく。その後彼がどうなったのか誰も知らない。

ここに描かれている物語は、現在に通じるアメリカの抱えた官僚主義的な陰謀の存在に対する警告だろう。陰謀論は普通ネガティブな意味で使われる。陰謀を人が口に出すとき、それは陰謀と見なされる限り真実ではないということになる。何故なら、今「陰謀」は「妄想」と同義語になっているからである。その意味で娯楽作品は陰謀を面白可笑しく描くことで、逆に「真実」に迫ることができる。
すなわち、意味の解釈は観客に委ねられ、作り手は、面白いサスペンス、あるいはミステリーを造り出したということで、充分にアリバイは成立するからである。しかし、この作品は、ただのミステリー娯楽作品ではない。今になってみれば、この作品で描かれたCIAの不気味さは現実のものとなり、アメリカのみならず全世界に暗い影を投げかけている。

コンドルという暗号名を与えられて、三日間逃げ回るターナーという男は、荒唐無稽な娯楽作品の一登場人物というより、すぐ隣にいるリアリティーに溢れた存在なのである。

この映画などは、現在ハリウッドや日本でも失われている部分を持つ、良質な作品のひとつなのではないかと思っています。まさに傑作!
娯楽作品の深層には、隠された暗号がある。
このことを「コンドル」は教えてくれているんだと思うな。

さあ、そのコンドルという暗号名を持つ男が雑踏に消えていくエンディングを観て欲しい。
最高にクールな終わり方といってもいいんじゃないかな。


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