Pages

2008年9月28日日曜日

彷徨える時代 ーネオ・リベから遠く離れてー

最近、チョムスキー、ジン、フィンケルスタイン等のネオ・リベラルに一線を画す人々を集中的に読んでいる。ハイエクを基礎にした新自由主義という体制が如何に嘘と欺瞞に溢れているか、感じざるを得ない。
演劇で何ができるのか、と学生達に問うが、それは僕自身に跳ね返ってくる問であることは充分に承知している。この世界の財界、政府、官僚、メディアといった部分に対する経済と価値観の一極集中の中で、あからさまな拝金主義が、グローバリズムの名の下で行われている。

教育、文化、芸術、そのすべては本来利権構造とは相容れないジャンルだったはずだが、米国の映画や舞台を観れば、利権以外の何ものでもないことがよくわかる。勿論、この傾向は米国に限ったことではなく、全世界を暗い雲のように覆い尽くそうとしている。
そこで、演劇で何ができるのだろうか。
経済行為の要素は確かにあるにしても、拝金主義的傾向から遠く離れて、演劇行為を行わない限り、演劇ですら新自由主義的な市場の原理に食い尽くされてしまうだろう。

恐らく、「市場原理」以外の価値観を見出さない限り、すべては経済的利益のみで計られてしまうだろう。たとえば、充実した内容を持ったテレビドラマが意外なほど視聴率が低いという、ただその一点で失敗作の烙印を押されてしまう今の現状は、やっぱり歪んでいるのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿