2013年3月9日土曜日

ポストグローバル社会の可能性

『ポストグローバル社会の可能性』
最近読んだ本のご紹介です。

タイトル『ポストグローバル社会の可能性 』
ジョン カバナ (編集), ジェリー マンダー (編集), John Cavanagh (原著), Jerry Mander (原著), 翻訳グループ「虹」 (翻訳) 

内容(「BOOK」データベースより)
世界貿易機関(WTO)、国際通貨基金(IMF)、世界銀行などが中心に推進している経済のグローバル化は、世界を急速に蝕んでいる。本書は、経済のグローバル化がもたらす影響を、文化、社会、政治、環境というあらゆる面から分析し批判することを目的に創設された国際グローバル化フォーラム(IFG)による、反グローバル化論の集大成である。「グローバル化を求めないのなら、何をめざすのか」という問いに、あらゆる側面からこたえることを通じて、ポストグローバル社会を構想する。仏・独・西・中など8カ国語で翻訳出版されている本書は、グローバリゼーションを考えるための必読書。 (引用終了)

ということで、2006年の11月に初版が出たこの本は、七年近くも経つというのに今だ議論は古びてはいません。
むしろ、現在を把握する上で非常に貴重な資料で溢れています。
残念ながらamazonでも扱っている冊数が少ないらしく、中古で手に入れるしかない場合もあるかもしれません。でも、ぜひ手にとってじっくり読んで頂きたい書物のひとつです。
この本の興味深い部分は大きく分けて二点あります。勿論、様々な議論全体が興味深いのですが、「コモンズ」に関する部分と、「オールタナティブ」の部分が秀逸です。

コモンズとはcommons(共有物、共有財産)ぐらいの意味かな。
しかし、この意味するところはとても深く重要です。というのも、今、全世界的にコモンズの民営化、すなわち公共の共有財産であったものが民間企業に売り渡されているのです。
例えば、アルゼンチンやボリビア、南アフリカ、インド、カナダ、米国、といった場所で次々と「水」が公共から企業による私有へと取って代わられているのです。ですが、これらの国々ではこの人間が生きる基本的財産である「水」を公共の手に取り戻そうと反対運動が起こってボリビアなどでは、水を独占した多国籍企業であるベクテル社の計画を放棄させました。コモンズとは元来は「共有地」の意味ですが、今やもっと広い意味で使われはじめているわけです。コモンズを守らねばならない。
また例えば「遺伝子」や「国民皆保険制度」などもコモンズの範疇に入るものです。

(本書P183から引用)
『国際技術評価センターのアンドリュー・キンブルによると、「いま企業は、金銭的に価値の高い植物、動物、そして人の遺伝子はないかと地球を隅々まで探し回り、あたかも自分の発明品であるかのようにそれらの私的所有権を主張しようとしている。すでに数千に及ぶ遺伝子特許が企業に与えられていて、これらの企業は今やあらゆる生き物の特許をとって、それを私物化することができる」。
こうした活動のほとんどは、生命科学産業によって行われている。モンサント、ノバルティス、デュポン、パイオニアなどの企業は、WTOのTRIP協定(貿易関連知的所有権協定)によって膨大な恩恵を与えられてきた。この協定はこれからの企業に対して、遺伝子操作を行えば植物や種子の品種の特許をとることができると認めているのだ。」

生物に対し、遺伝子まで特許が認められてしまえば、人間存在のアイデンティティさえも商品化されてしまうのではないか。今気軽に行われている家庭菜園も種子の特許化が進む中で、禁止される可能性が出てくるのではないか。いや、実際すでに家庭菜園禁止の方向が出ているのですが。特定の企業による特許化が進み、様々なコモンズが占有されていく様子が見えるのです。コモンズとは本来何者かによって占有されてはならない世界の欠くことのできない部分。コモンズとは商品化してはならないもののことです。

オールタナティブとは代替案のこと。
果たして、現在のグローバル化の後、我々はどこへ向かえばいいのか。この問に対する答えは、ひとつではない。そして、ひとつにしてはならない。
例えば、ここに一つの提案がある。ブレストンウッズ体制の三つ子である「世界銀行(WB)」、国際通貨基金(IMF)、世界貿易機関(WTO)という機構を全廃する。そして新たな国際機構に置き換えたらどうだろう。この書物の提案は率直にして明快である。現在我が国が巻き込まれているTPPという環太平洋戦略的経済連携協定も、実はその背後にこれら三つの機構が深く絡み、ISD条項という国の政府よりも他国の投資家を優先する考え方も、全てこれら三つの機構が絡んでの話なのである。


一筋縄ではいかない現代のこの「新世界秩序(New World Order)」への道程を疑問視する者は、この書物を是非読まれることをお勧めする。
この国の貴重な農業のみならず、国民皆保険制度の解体、国の固有の文化の破壊もしくは収奪までもくろむ現在のグローバリゼーションの波をなんとか押しとどめたいものです。
この書物にそのヒントがあるような気がします。

2013年3月7日木曜日

春の日差しの中で



久しぶりに暖かな春の日差しの中、 こんな写真を頂きました。

すぐ近所の「紅梅」の写真。

甘い匂いが漂ってきそうな梅の花。うれしいな。桜はまだだけど、確実に春は近づいてるな。

素敵な写真をありがとね!!!

殺伐とした時代に、こんな鮮やかな花を見ると心が和みます。


2013年3月5日火曜日

TPPに関する覚え書き

ここ数日は大学の新年度の講義ノートを作成しつつ資料の整理をしている。
いくつかこのブログにもメモっとこうと思う。


まずは、去年同様今年も触れなければいけないのが「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)」についてである。

先日の某産経新聞によると:
「国益守る」条件に容認 自民調査会 TPPで決議
産経新聞2013年2月28日(木)08:02
 自民党の「外交・経済連携調査会」(衛藤征士郎会長)は27日、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への交渉参加について、国益を守り抜くことを条件に容認する決議を採択した。安倍晋三首相はこの決議や党内議論を踏まえ、3月上旬にも交渉参加を正式表明する方針だ。
 決議は政府に対し「守り抜くべき国益を認知し、どう守っていくのか明確な方針を示すべきだ」と主張。「守り抜くべき国益」の具体的項目として

(1)コメ、麦、牛肉、乳製品、砂糖など農林水産品の関税
(2)自動車の排ガス規制や安全基準などの維持
(3)国民皆保険制度の維持
(4)食の安全安心基準の維持
(5)国の主権を損なうようなISD条項(投資家と国家間の紛争条項)には合意しない
(6)政府調達やかんぽ、郵貯、共済など金融サービスのあり方は日本の特性を踏まえる-を明記した。
 
このほか、混合医療の全面解禁を認めないことや、医師や弁護士など資格制度や放送事業における外資規制、書籍の再販制度の維持などを挙げ、「わが国の特性を踏まえる」よう求めた。反対派の議員連盟「TPP参加の即時撤回を求める会」の主張に最大限配慮した内容だ。会合では新たに外交・経済連携調査会の中に「TPP対策委員会」を設置することも決定。委員長には反対派の西川公也衆院議員が指名された。
 公明党も27日の会合で、交渉参加の判断を首相に一任する方針を確認した。

ーーーーーーーーーーーーーーー以上引用終わり

いやはや、この前の選挙の時と打って変わった首相のTPPに対する積極的な参加姿勢。
国益を守り抜くと言いながら、上記の(1)~(6)のうちひとつでも「聖域なき関税撤廃」に含まれないものがあれば、首相判断で即合意、という話らしい。
このかつての「日米修好通商条約」にも似た明白な不平等条約によって、単純に国益が損なわれるだけではないのですよ。
例えば、コメを聖域と見なす、と言ったからといって、他は米国の多国籍企業の要求に従わざるを得ぬのだろうか?ちょっと待てよ!(1)~(6)は漏れなくすべて主権国家足る我が国の自国内で決定すべき重要項目である。これらの項目に外国が要求すること自体そもそも内政干渉だろう。しかも、それを企業や投資家が行うことになるのである。しかし、いつの間にやら、これが当たり前の状況になっている。驚くべき事に、「守り抜くべき国益」といって上げたものはすべて、実際、米国の多国籍企業が標的にしているものそれ自体だということ。これらの項目は取引する対象ではそもそもないのだよ。

TPPには「ISD条項(投資家と国家間の紛争条項)」がある。
ISDとは、ある国家が自国の公共の利益のために制定した政策により、海外の投資家が仮に不利益を被ったとする、その場合、世界銀行傘下の「国際投資紛争解決センター」という第三者機関に訴えることができる制度である。日本が海外の投資家に損失を出した場合、その賠償を日本政府が行わなければならないのである。先日、米韓FTAにおいても、韓国はアメリカに莫大な賠償金を払ったばかりであり、米国とカナダとメキシコの自由貿易協定であるNAFTA(北米自由貿易協定)においても、同様の事態が起こっている。国家の主権が蹂躙されているのである。これは今後の日本の未来と考えられるのだ。

更にTPPには「ラチェット規約」という条件が付随していることも忘れてはならない。
ラチェットとは、一方にしか動かない爪歯車のこと。ラチェット規定とは、現状の自由化よりも後退を許さないという規定。
このことによって、一旦TPPで決定したことは、後戻りすることなく、徹底的に推し進められることになる。一度実験的に参加してみるという類いの条約では決してない。このラチェット規定が入っている分野は、「銀行、保険、法務、特許、会計、電力・ガス、宅配、電気通信、建設サービス、流通、高等教育、医療機器、航空輸送など多岐にわたる」そうだ。どれも米国企業に有利な分野ばかり。
このように確認してみると、如何にTPPというものが邪悪で有害なものかが分かってくる。
経団連はこのTPPをなんとしても推し進めようとしているのだから、経団連という組織の性質もよく分かるというものだ。そして、そうした動きに追随するメディアの論調も相変わらず、大東亜戦争の真っ最中と変わらぬ腰巾着ぶりである。戦争中あれほど国威発揚を叫んだ朝日新聞が、今やTPPに擦り寄る報道を行うのだから、まったく長いものには巻かれろ、もしくは、付和雷同を地でいったものと見なすことにする。
しかしながら、このTPPの動きを米国だけが得をする条約と考えたら、それも間違いになる。
この動きは米国国民をも不幸にする条約なのだ。TPPで利益を得るのは米国ではない。多国籍企業である。だからこそ日本の経団連も一丸となって推進しようとしているのである。まさに、世界中の多国籍企業という、その企業の利益によって政策が支配されるというおぞましい姿がTPPの本質なのだと思われる。
コーポラティズム(Corporatism)という言葉がある。
本来は、共同体を人間の身体組織のように見なした政治や経済や社会の組織のシステムの1つのことである。
だが、ここでは本来の意味とは異なる「コーポラティズム(Corporatism)」が問題になるのです。
この場合のコーポラティズムとは、「大企業と政府が一体になった国家運営体制」を言います。その意味で、今グローバルな形で進行している様々な世界の歪みは、デモクラシーという民主化へのこれまでの幻想から、実際はコーポラティズムへのドラスティックな変容過程なのだと思われます。世界は決して民主化などされてはいない。世界は急激にコーポラティズムへ移行しているのだと思う。


とても質の良い情報源であるアメリカの「デモクラシー・ナウ」という番組が鋭いTPP批判を行っています。

2013年2月20日水曜日

ボートに乗った日

笑っちゃうけど、俺だぜぃ☆
最近のこと、書庫を片付けているといろんなものが出てくるんだ。
数日前、ポロッと本の間から落ちた写真がこれ。

恥ずかしながら、僕の三歳頃の写真です。どこだっけ?と、あれこれ考えていると不意に鮮やかに思い出されたボート乗り場の風景。

あの日僕は、父とボートに乗りに行ったのだ。
たぶん、ボートに乗るのは初めてだったはず。僕は揺れる木のボートに恐る恐る乗って、父に「すぐにしゃがむんだ」と言われたのを覚えている。
正面に座った座った父が、僕と向かい合ったまま、ボートを漕ぎ出す。いつも見ている川の流れが、いつもとは違って見えた。
川には小さな魚たちがいた。オイカワやハヤやフナなんか。でも、その日僕がボートから見たのは、巨大な青く光る鯉だった。
悠々と流れに逆らって泳ぐ大きな鯉を見つめながら、こんな大きな魚がいるんだと、幼い僕は思っていた。

川は流れ、すぐ近くに蒸気機関車が通り過ぎる鉄橋が見えた。
父はゆっくりと片方の櫂を大きく動かしながら方向を変え、上流の方へ、もと来た方へとボートを動かしていった。


たぶん、ほんの数十分だったのだと思う。僕はその記憶を忘れないでいたようだ。
この写真は、アメリカ人の宣教師さんから頂いた服を着たその日の僕。
もう五十年も前のことです。
被っているハンチングも、母が背負わせてくれた肩掛け鞄も覚えているんだよな。


この写真を見ていると「It’s only a paper moon」ていう曲を思い浮かべた。
たとえ、紙でできたお月様でも、信じればそれは本物の月になる。そんな曲。
幼い頃は信じる力があった。それは今だって変わらない、はず。
それでも、大人になると人はとてつもなくリアリストになる。いや、リアリストにならなくていけないのだ。
しかし、そのリアリストの中にどうしょうもなく三歳の幼かった自分を感じる瞬間がある。
なにもかもが初めて、というあの感覚。
いい大人になって、リアリストとして責任をとり、それでもなお、紙のお月様を信じられる。初めての感覚を取り戻す。そんな生き方がしたいものです。
人生は、あるネーティブ・アメリカンが言ったように夢そのものだから。
紙は紙として見ながら、その紙を信じて本物の月にすること。
ボートに乗った日。遠いあの日。紙の月を信じることのできたあの日。初めて鯉を見て驚いて感動したあの日。
あの日から、実は今のこの瞬間まで、僕という人間は続いているのだ。

2013年2月6日水曜日

What a wonderful world☆

最高の「What a wonderful world!」です! 岩田さんのギターと歌は最高だな☆泣けてくる。

最後の授業 ドーデ、そして明日を考える

アルフォンス・ドーデ(1840~97)
版権が切れて自由に掲載できる文学作品がある。
ネット上では、そんな文学作品が、利用できるテキストデータの形で様々存在する。ありがたく利用させて頂きます。
『6M2学級通信』さんのページから引用掲載させて頂きます。

今日は、その中から、ドーデの短編『最後の授業』を読んでみたいと思う。
昔、この小さな物語を、僕は教科書で読んだ。小学生だったか、中学生だったか、定かではないが、物語の内容を忘れられずに抱え込んだ、そんな一編であった。
かつて、いや、今もかもしれないが、教科書には不意に心に突き刺さる作品が掲載されていることがあった。いい歳になった今も、その中のいくつかの作品を僕は時々思い出すのだ。
そして、この『最後の授業』もまた、決して忘れることができない作品だ。実際、そればかりでなく、徐々にグローバル化する世界が、文化や言語といったローカルな価値を奪い、世界を平面化しつつある中で、この小さな文学作品は、ふと僕らを立ち止まらせ、現状認識を改めさせてくれる重要な作品であるということも最近になって気がついた次第である。世界は第一次大戦や第二次大戦で終わっているわけではない。むしろ、邪悪さは地球規模で広がり、静かに今進行しているのだと思う。日本は本当に平和なのか。日本の経済は本当に破綻しているのか。世界は統一されることで真に平和になり得るのか。アジアの平和は欧米によって保障されるものなのか。パレスティナは悪で、イスラエルが善なのか。南の国々、アフリカや南米の諸国が貧困状態に固定されなければならない理由は何だろう。単一言語化、すなわち、英語の独り勝ち状態は本当に健全なことなのか。考えるべき材料は計り知れない。
僕らの最後の授業は、明日なのかもしれないのだから。


『最後の授業』(さいごのじゅぎょう、仏: La Dernière Classe)は、フランス第三共和政時代の初期、1873年に出版されたアルフォンス・ドーデの短編小説集『月曜物語』(仏: Les Contes du Lundi)の1編である。副題は『アルザスの少年の話』(Récit d'un petit alsacien)。『月曜物語』は1871年から1873年までフランスの新聞で連載された。ーWIKIPEDIAより



『最後の授業』             
ー アルザスのある少年の物語 ー
アルフォンス・ドーデ(1840~97)作


 その朝、ぼくは学校に行くのがひどく遅くなってしまい、それにアメル先生がぼくらに分詞について質問すると言ったのに、まだ一言も覚えていなかっただけに、叱られるのがすごく怖かった。いっそのこと授業をさぼって、野原を駆け回ってやろうかという考えが頭をかすめた。
 すごく暖かくて、よい天気だった!  森の外れではツグミが鳴き、リペールの原では、製材所の向こうで、プロシア兵たちが教練をしているのが聞こえた。どれもこれも分詞の規則よりはずっと面白そうなことばかりだった。だが、ぼくは誘惑に打ち勝つことができて、大急ぎで学校に走って行った。役場の前を通りかかると、金網を張った小さな掲示板のそばに大勢の人が立ち止まっているのが見えた。二年このかた、敗戦だの、徴発だの、占領軍司令部の命令だの、悪いニュースは全部そこから出て来るのだった。で、ぼくは止まらずに考えた。
 「今度は何かな?」 すると、ぼくが走って広場を横切ろうとしたとき、見習いの小僧を連れて掲示を読んでいた鍛冶屋のヴァシュテル親方が、ぼくに向かって叫んだ。
 「そんなに急がなくてもいいぞ、ちび。学校なんて、いつ行っても遅れはしないからな!」
 ぼくはからかわれているんだと思った。で、はあはあ息を切らせながらアメル先生の小さな学校の中庭に入って行った。ふだんだと、授業の始まるときは大騒ぎで、勉強机を開けたり閉めたりする音や、よく覚えるため耳をふさいで、みんながいっしょにその日の授業を大声で練習するのや、それからまた先生が大きな定規で机をひっぱたいて、「ちょっと静かに!」と怒鳴るのが、道まで聞こえてくるのだった。
 ぼくはその騒ぎを利用してこっそり席にもぐり込むつもりだった。ところがちょうどその日は、まるで日曜の朝みたいに、すべてがひっそりしていた。開いた窓から、仲間がもうきちんと席に並び、アメル先生が恐ろしい鉄の定規を小脇にかかえて、行ったり来たりしているのが見えた。戸を開けて、それほどしんと静かな真ん中に入って行かなきゃならなかった。ぼくがどんなに赤くなり、びくついていたか、分かるでしょう!
 ところが、そうじゃない! アメル先生は怒りもせずにぼくを見て、とても優しく言った。
 「さあ、早く席について、フランツ君。君がいないけれども、始めようとしていたんだ」
 ぼくは腰掛けをまたいで、すぐに自分の勉強机に坐った。その時になって、やっといくらか怖さがおさまって、先生が、視学官の来る日や賞品授与の日にしか着ない、立派な緑色のフロックコートを着込み、細かいひだのついた胸飾りをし、刺繍した黒い絹の縁なし帽をかぶっているのに気がついた。その上、教室全体が何かふだんと違って、厳かな感じだった。
 けれども一番驚いたのは、教室の奥の、ふだんは空いている腰掛けに、村の人たちがぼくらと同じように、黙って坐っていることだった。三角帽子をかぶったオゼール老人、元村長、元郵便配達人、それからまだ多くの人たちも。その人たちはみんな悲しそうだった。そしてオゼールさんは縁がいたんだ古い初等読本を持って来ていて、それを膝の上にいっぱい開き、大きな眼鏡を両ページの上にまたがって置いていた。
 ぼくがそうしたことにびっくりしているうちに、アメル先生は教壇に上がり、さっきぼくを迎えてくれたのと同じ重々しい声で、ぼくらに言った。
 「みなさん、私がみなさんに授業するのは、これが最後です。アルザスとロレーヌの学校では、これからはドイツ語だけを教えることという命令が、ベルリンから来ました……。新しい先生が明日来ます。今日はみなさんの最後のフランス語の授業です。熱心に聞いて下さい」
 その言葉を聞いて、ぼくは強いショックを受けた。ああ!ひどい奴らだ、さっき役場に掲示してあったのはそれなんだ。ぼくの最後のフランス語の授業だって!…… ぼくときたら、やっとフランス語を書ける程度なのに! このままの状態でいなくちゃならないわけだ!……
 今になってぼくは無駄に過ごした時間のこと、鳥の巣を探して歩いたり、ザール川で氷遊びをするため、欠席した授業のことを、どんなに悔やんだことだろう!
 ついさっきまではあれほど嫌で、持って歩くのも重く感じていた文法や聖史などの教科書が、今では別れるのがひどく辛い友達のように思われた。アメル先生も同じだ。先生はいなくなり、もう二度と会いないのだと思うと、罰せられたり、定規でたたかれたことも、みんな忘れてしまった。お気の毒な人!
 先生はこの最後の授業のために立派な晴れ着を着て着たのだった。そして今になってぼくは、村の老人たちが何で教室の隅に着て坐っているのかが分かった。それはもっとしょっちゅうこの学校に来なかったことを、悔やんでいるらしかった。そしてまたアメル先生が四十年間も尽くしてくれたことに感謝し、失われる祖国に敬意を表するためでもあったのだ……
 そうした思いにふけっている時、ぼくの名前が呼ばれるのが、聞こえた。ぼくが暗唱する番であった。あのややこしい分詞の規則を、大声で、はっきり、一つも間違えずに全部言えるためなら、どんなことだってしただろう。だが、ぼくは最初からまごついてしまって、悲しみで胸がいっぱいになり、顔も上げられずに、自分の腰掛けのところで立ったまま体を揺すっていた。アメル先生の言う声が聞こえた。
 「起こりゃしないよ、フランツ君、もう十分罰は受けていはずだからね…… ほらそうして。誰でも毎日思うんだ。なあに! 時間はたっぷりある。明日覚えりゃいいって。ところがその結果はどうだね…… ああ! そんなふうに教育などは明日に延ばしてきたのが、わがアルザスの大きな不幸だった。今あの連中にこう言われたって仕方がない。なんだ! おまえたちはフランス人だと言い張っていたくせに、自分の言葉を話せも書けもしないじゃないか…… でもそうしたことはみんな、かわいそうなフランツ、君が一番悪いわけじゃない。われわれはみんなたっぷり非難されるべき点があるんだよ。
 君たちの両親は、君たちにぜひとも教育を受けさせようとは思わなかった。それよりほんのわずかな金を余分に稼がせるため、畑や紡績工場に働きに出す方を好んだ。私だって自分にとがめる点はないだろうか。勉強するかわりに、よく君らに私の庭に水をやらせなかったか? それから鱒釣りに行きたくなった時、平気で休みにしなかったろうか?……」
 それからアメル先生は、次から次へフランス語について話を始めて、フランス語は世界で一番美しく、一番明晰で、一番がっしりした言語であると言った。そしてフランス語を自分たちの間で守って、決して忘れることのないようにしなけらばならない。なぜなら一つの国民が奴隷となっても、その国民が自分の言語を持っている限りは牢獄の鍵を持っているのと同じだと…… それから先生は文法の本を取り上げて、今日の課業を読んでくれた。ぼくはそれがあまりによく分かるのでびっくりした。先生の言うことが、みんなやさしく感じられた。これほどぼくがよく聞き、先生の方でもこれほど辛抱強く説明したことはないと思う。気の毒な先生は、自分がいなくなる前に自分の知っている限りのことを全部教え、それをぼくらの頭に一気にたたき込んでしまおうとしているみたいだった。
 課業が終わると、次は習字だった。この日のために、アメル先生は真新しい手本を用意してきていた。それには美しい丸い書体で、「フランス、アルザス、フランス、アルザス」と書いてあった。まるで小さな国旗が勉強机の横棒にひっかかって、」教室中にひるがえっているみたいだった。みんな熱心で、それに静かだったことだろう! ただ紙の上を走るペンの音しか聞こえなかった。一度などは、黄金虫が何匹か入って来た。だが、誰も気を取られたりせず、うんと小さな子供たちさえそうだった。彼らはまるでそれもフランス語であるかのように、心を込めて、一所懸命、縦線を引っぱっていた…… 学校の屋根の上では鳩が小声でクークーと鳴いていた。それを聞いてぼくは考えた。
 「いまにあの鳩たちまで、ドイツ語で鳴けと言われやしないかな?」
 時々、ページの上から目を離すと、アメル先生はまるで目の中に自分の小さな学校の建物をそっくり収めて持って行きたいと思っているように、教壇の上でじっと動かずにまわりの物を見つめていた…… 考えてもごらんなさい! 四十年来、先生はその同じ場所に、中庭を正面に見て、まったく変わらない教室にいたのだった。ただ腰掛けや勉強机が、長年使われて、こすれて磨かれただけだった。中庭のくるみの木は大きくなり、彼が自分で植えたホップは今では窓を飾って屋根まで伸びていた。気の毒な先生にとって、そうしたものにみんな別れ、そして頭の上での部屋で妹が、荷造りのために行ったり来たりしている音を聞くのは、どんなに悲痛なことだったろう! なぜなら明日は二人は出発し、永久にこの土地を去らねばならなかったのだ。でも先生は勇気をふるって、ぼくらのため最後まで授業を続けた。習字のあとは歴史の勉強だった。それから小さな生徒たちが声をそろえて「バ・ブ・ビ・ボ・ビュ」の歌を歌った。あちらの教室の奥では、オゼール老人が眼鏡をかけて、初等読本を両手で持って、子供たちといっしょに字の綴りを読んでいた。老人も一所懸命なのがよく分かった。感激して声が震えていた。それを聞いていると実に奇妙で、ぼくらはみんな笑いたく、そしてまた泣きたくなった。ああ! ぼくらはその最後の授業のことをいつまでも忘れないだろう。
 突然、教会の大時計が正午を打った。それに続いてアンジェラスの鐘が。それと同時に、教練から帰って来るプロシア兵のラッパの音が、窓の下で鳴り響いた…… アメル先生は真っ青になって、教壇に立ち上がった。先生がそれほど大きく見えたことはなかった。
 「みなさん」と、彼は言った。「みなさん。私は…… 私は……」
 でも、何か胸につまった。終わりまで言えなかった。そこで先生は黒板の方に向き直り、一片の白墨を手に取って、全身の力を込めて、精いっぱい大きな字で書いた。
 「フランス万歳」
 それから頭を壁に押しつけたまま、そこに立っていて、口はきかずに、手でぼくらに合図した。
 「おしまいです…… 行きなさい」
                                (了)


 

2013年2月4日月曜日

『自己信頼』について

Ralph Waldo Emerson (May 25, 1803 – April 27, 1882) was an American essayist, lecturer, and poet
“Ne te quæsiveris extra.”

Man is his own star: and the soul that can
Render an honest and a perfect man,
Commands all light, all influence, all fate;
Nothing to him falls early or too late.
Our acts our angels are, or good or ill,
Our fatal shadows that walk by us still.

「なんじみずからを外に求むなかれ」

運命の星はその人の中にある、
正直で完全な人間を作りうる神が
すべての光、すべての力、すべての運命を支配しており、
人の身にふりかかることに早すぎおそ過ぎはない、
人の行為が、よかれあしかれ、神の御使であり、
人を離れぬ宿命の影である。
   
「“ Self - Reliance “ in Essays : First Series, 1841」入江勇起男訳:より。
日本語タイトル『自己信頼』の冒頭部分のエピグラフ(箴言)

入江勇起男さんの訳もいいよね!


エマーソン。
といっても、その昔のロックグループ「E.L.P(エマーソン・レイク&パーマー)」ではありません。
哲学者ラルフ・ウォルド・エマーソン。
この文はエピグラフですから、引用に過ぎず、エマーソン自身の言葉ではありません。しかし、本文のテーマをすっかり言い切っているという意味で、エピグラフとしても非常に精度の高い的確なものと思われます。彼の伝えたいエッセンスがこの引用詩の中に凝縮しているわけです。
本文は十九世紀のアメリカを代表する哲学者であるエマーソンが1841年に表したものですが、その内容は実に興味深い。
テーマは「自己信頼」、すなわち「自分自身の基準を自分以外に置くな!」ということ。
人は己自身の考えを往々にして「自分の勝手な考え」だとか「自分の思い込み」だとか理由を付けて引っ込めてしまう。だが、エマーソンに言わせれば、それは愚か者の行為ということになる。どれほど立派な、例えばプラトンであれモーゼであれミルトンであれ、彼らは皆、他人の言葉や他人の保証の下で何かを述べたわけではない。彼らは、皆、自分自身の言葉を述べたにすぎない。実に勝手な、実にわがままな連中だったんだね。
だから、彼はこう主張する。

“To believe your own thought, to believe that what is true for you in your private heart is true for all men ー that is genius.”
「自分自身の考えを信ずること、人知れず深く考え、自分にとって真理であることはすべての人にとって真理であると信ずること、ー それが天才である」(入江勇起男訳)

ものすごく傲慢だ。だが、僕は好きだな。基準を自分の中に持つ以外に「基準」なんてものが他にあるのだろうか?
自分以外の何か、他を基準にした「相対性」は時として、恐ろしい不幸を生む。
最近放送されているドラマで「夜行観覧車」という湊かなえさん原作のショッキングな物語がある。崩壊していくコミュニティー(新興住宅街)の家族の姿を描いたものだが、この物語のテーマこそ、「自己信頼の欠如」ではないかと思われます。主人公の主婦はより良い生活スタイルを求めて、高級住宅街の片隅に家族で引っ越ししてきます。そして、娘の受験やご近所付き合いなどを経て数年後殺人事件に直面するという展開です。この主婦の思考形態がまさに「相対性」であり、自分以外を「~は、いいな」というのが口癖になっている人物として描かれます。そしてやがて、それは主人公一人の傾向ではなく、ほぼすべての登場人物の抱える特徴であることが分かってくる。つまり、彼らは皆、生きる基準を常に外に置いていて、自分を棚上げにしている人々なのです。そこにあるのは、かつて言われた「隣の芝生」どころではない「自己卑下」と、そこから生じる腐りきった「自尊心」に他なりません。僕はここに一つの典型を見る。自己信頼をなくし、他者に自己を投影し、そこから逃れられなくなった人間の姿を見る。エマーソンの語る「自己信頼」の傲慢さは、自己卑下と肥大化した自尊心より遙かに健康な思考だと、僕は思うよ。そして、自己に対する信頼感をなくしては、僕らは生きていけないのだとさえ思う。
人間の不幸の多くは「己自身の声」を聴かぬ所から始まるのかもしれない。
ともかく、自分自身の声を聴き、自分自身の言葉を持つことから、人生をはじめてもいいんじゃないか、とエマーソンは言うわけさ。
誰よりも先に自分自身が自己を否定する、そんな自己のあり方から抜け出したいものです。

時々、ひっぱりだしてエマーソンを僕は読む。
それは、僕の心の栄養になる。心のエクササイズでもある。決して心優しい言葉ばかりではないが、今の自分と向き合う「座標軸」をエマーソンは与えてくれるんだ。「森の生活」のヘンリー・ソローと共に、僕の大切な人生の書物の一つであることは、確かだ。


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